2014/11/29 脳内恋愛・脳内嫁がどうこうから脳内友達へといかないのはどういうわけか

 1年以上も体調を崩していると、人付き合いが恐ろしいほどなくなるわけですよ( ・ω・) 元から大してなかったんですが、もう来年は友達0人になると思います。お金と違ってマイナスにはならないところが友人数の実に良いところですが……( ゚∀゚)y─┛~~

 そうなると孤独で、ただでさえノイローゼ気味なのにさらに悪化するということがありますが、一方で、「あーっ、すっきりした!」と叫びたいような爽快感もあります。

 と言いますのも、縁が切れてくると、友人づきあいというのは、別にしたくもない趣味に時間をつぎ込んだり出費を強要されるということが実に多いということに気付いてしまうわけです。もうね、いくら有名であろうと、俺が見たくもないアニメを見ている前提で話を振られるのとかうんざりですわ(;´Д`)

 世の友人付き合いの多くは、周囲との話題の刷り合わせのため、別に大してチェックしたくも無いものをチェックするためにお金を使い、場合によってはたとえば仲間より先にパズドラとかの流行に乗るために必死に世にアンテナを巡らす、というどーでもいいことこのうえないことで成り立っているように思えます。なんかもうそういうのいいです、はい( ・ω・)

 で、そのように考えると、真実の愛が二次元にしかないように、真実の友情も二次元にしかない、三次元にあるのは友情ではなく醜い何かだ、と言えると思うのです。
 だとすると、なぜ脳内恋愛・脳内嫁がどうこうから脳内友達へといかないのかなあ、という疑問がわくわけですよ。
 あ、今回の話題はここからですよ∩(・ω・ )∩

 嫁が脳内嫁なのが本当に良いのだとするなら、友達も脳内友達の方が上のはずなのですが、現状そのようなことを主張する強力な論者を目にしません。まあ探してないんですが、多分いません( ・ω・)

 結局、脳内嫁というタームも、周囲との話題の刷り合わせ(その中で目立つことも含む)のため、別にさして脳内嫁を良いものとも思っていないのに、色々と金と時間をつぎ込んでチェックして、「●●は俺の嫁!」とか周囲にあわせてそれっぽく言っているだけなのかなとか、余りにも冷たい認識に辿り着きました。なんてこったい(゚Д゚)

 だとすると、ここが根源的な人間の欲求なのかなとも思います( ・ω・)
 つまり、周囲との刷り合わせのために、別に良いとも思っていないものにひたすら時間と金をつぎ込む、というのが人間の本性というか。
 未開の世界の「贈与」というのもそういうものですよね。え、違う?

 でも、子孫を残すことは自分の三次元のオプションからとっとと外せるのに、無駄な金と時間をつぎ込んででも友達を外せないというのは、やはりそこが根源的なものだと思えるんですけどね∩(・ω・ )∩ なぜそこが根源なのかはさっぱりわかりませんが。

 そのが正しいとすると、来年は友達0人になる予定の俺は、一体どうなるのか、という気がしますが……でも昔から脳内友達作ってたなあ、そういえば(;´Д`) 脳内なら友達100人なんて簡単ですよ!(゚Д゚)